「配属ガチャ」という言葉があって、新入社員が望む配属となるかがわからないこと、だそうです。
自分が希望する部署に配属となればうれしいでしょう。でも多くの場合は希望どおりとはいかず、そんなときは先輩の活躍を仰ぎ見て自分もいつか・・・と頑張ってみるわけです。
配属ガチャをいう若者には一定の割合でスペシャリスト志向があるように思います。研究職やコンサルティングという響きになんとなく良いイメージがあったり、就職した後も資格取得に勤しみ、スペシャリストにさえなれば自分の望む仕事ができると考えるからでしょう。そのため、比較的若者世代にはジョブ型雇用やリスキリングという言葉(イメージ)が心に響いているように思います。
「労働の包摂」という言葉があります。古典的な社会思想の概念です。熟練がジョブに分解され、機械化され、マニュアル化され、労働が低質化していくことを示しています。現代の企業はどうあれこういうジョブの集まりで成り立っています。配属ガチャをいう若者が考えるスペシャリストがこういうジョブを意味していたら?スペシャリスト志向というのは一見前向きですが、取り組みを誤ると自ら包摂されているだけになりかねません。
誰しも自分で考え、行動して、社会に貢献したいと思っているはず。スペシャリスト志向が行き過ぎていわゆる専門バカになってしまうと、考えと行動がバラバラになりかねません。配属ガチャという気持ちも理解できますが、この春の配属辞令を視野と可能性を広げる機会と思って受け取っても良いように思うのです。
そして、若者たちのその気持ちに上司、そして会社が応えるべきです。
また、雇用システムは社会システムでもあるわけで、企業単体で成り立つものではなく、社会が応える必要があると考えます。