(新年あけましておめでとうございます 本年もどうぞよろしくお願いいたします)
映画「ゴジラ -1.0」をご覧になったでしょうか*1。
太平洋戦争が終わり「銀座は復興しているそうよ」と典子。「復旧だよ」と敷島がつぶやく。食うや食わずから少しずつ暮らしが立っていく街にゴジラが襲い掛かってくる。敷島を含む復員兵らが立ち上がり「ワダツミ作戦」を決行、敷島の運命は・・・!
というところで急に話が変わるのですが、この映画で労働についての歴史をおさらい、というかどうしても思わずにいられなかったわけです。「ゴジラ-1.0」の時代設定は終戦から1950年頃まで。この時期の労働運動には目的が三つあったそうです。一つ目は「食える賃金」、二つ目が「身分・待遇上の差別撤廃」、三つ目は「生産の復興」でした*2。
「敗戦後の混乱と飢餓の中で、まず「食える」だけの賃金を獲得すること」*2 。映画でもご近所同士で白米を分け合う困窮シーンが描かれており、この時期の労働者の切実な願いだっただろうと思われます。また、身分・待遇上の差別撤廃については、先のブログ(社員という呼び名の変遷)で書きましたので割愛しますが戦時中の階級社会(映画でも航空兵と整備兵の格差が描かれていました)に対する反動があったかもしれません。このような時期だったため、経営者は人事管理において更なる混乱を招かぬように、ある意味で平等な年功序列賃金体系を優先したのだろうか、とも考えるわけです。
さらに、生産の復興に関してですが、「戦争によって生産設備が破壊された状況下で、各企業が直面した問題は、何よりもまず生産を復興することだった。ところが、多くの企業ではトップの経営者が戦争責任によって公職を追放されたり激しい労働攻勢の中で経営能力を失っていたために、労働組合自らが生産を管理して企業経営を続へようとするところが少なくなかった。」*2 のだそうです。この点については映画のワダツミ作戦が説明的です。難局にあたり国家との調整を行いつつも、公職追放を免れた復員兵らが自ら作戦を立て実行していく姿が描かれています。
もちろん現実にはゴジラはいなかったわけですが、実際の生産現場において、自分が食うために、家族らのために、そして国が危機にあって労使の立場を超えて立ち上がらざるを得なかった時代の様子を、映画を通して見た気持ちでした。
*1 映画『ゴジラ-1.0』公式サイト (toho.co.jp)
*2 「日本の労使関係と労働者教育」労働政策研究・研修機構 江上寿美雄