今年の大河ドラマは平安時代を描いていて、その中で天皇の側近ポストをめぐる様子が繰り広げられています。筋書きの影響もあって、古代の官僚人事は世襲本位であった印象ですが、史実によると意外にも現代にも通じる能力本位な人事を行おうとしていたとのことです。
古代の律令官人制を解説した書籍*1によれば、大化改新により律令制が導入された奈良時代には「考課令」という勤務評定や昇進ルールに関する規定があったといいます。考課といえばいまでも企業などで「人事考課」といったりしますが、古くから使用されていた用語というのも興味深いものがあります。
奈良時代の初期にはこのルールを厳格に実施しようという意気込みが強かったそうです。なかなか面白いと思うのは考課の観点です。ある寺に保存されていた木簡によると、その観点は「能・日参・善・最」の4つであったそうです。それぞれ現代風にいうと「能力・出勤日数・勤務態度・業績」となるそうで、現代の能力主義的な人事評価の観点とたいへん良く似ています。これらの観点ごとに評価項目があって、その獲得ポイントにより序列がついたのだとか。古代から現代と同じようなことをしていたのかと思うと、不思議な感じもします。
さてその後、律令官人制はどのように変遷したかですが、なかなか複雑なようです。ざっくりと理解したところでは、形骸化していくが日本社会に深く根差していったとか。たとえば、考課がいい加減になってしまい、官職のない位階(散位)が乱発されたりします。現代風にいうと役職に就かない管理監督等級といったところでしょうか。どうしてそうなったか企業人事に携わる者であれば察することができます。また、形骸化しつつも制度は生き残るのも面白いです。武家社会が到来すると官職・位階は名誉職になります。たとえば、水戸黄門さまは幕府の要職にありつつ、形式としては三位の中納言だったという風に(だいたいの感じです・・・間違っていたらごめんなさい)。時代がどのように変化しようとも、企業の人事体系の中に役職と等級という形が頑固に残っているのと似ているような気がします。
*1『人事の古代史』 十川陽一 ちくま新書