『職工事情』という本があります*1。はしがきによれば、明治政府の農商務省が行った当時国内の労働事情に関する調査書とのことです。日本の産業革命期の労働条件を赤裸々に記録した史料で、そのあるがままさ故に太平洋戦争前は公刊が許されなかったそうです。
文語体で書かれているのですが内容が面白いので読み進めることができます。上巻は、紡績や生糸などの工場の雇用状況に始まり、衛生、教育や住居、さらには風紀に至るまで克明に記録されています。どの部分も興味深いのですが、特に教育について取り上げてみたいと思います。
当時の雇用状況は、性別は紡績工場で女性が約8割(78.3%)だったそうです。20歳未満の若者が約半数(46.8%)で、14歳未満の年少者が1割程度おり、さらには10歳未満の子供もいたとのこと(姉妹で雇われるような場合があったため)。このような事情が企業内教育が必要とされた背景であったようです。
当時、工場の生産性は低く、多くの人手を要していたことから年少者であっても貴重な労働力とされました。労働力の供給元であった地方における教育環境はまだ未熟で、尋常小学校を卒業している者は男工15%、女工8%に過ぎなかったとあります(なお、文部科学省の資料によればこの頃、小学校の就学率はすでに全国的には80%はあったようですから、卒業しない者が多かったのでしょうか)。そのため、読み書きができない労働者も多数いたようです。さらに、年少者が親元を離れ寄宿舎で生活する場合を思えば、彼らの生活態度を正すことに工場主は苦心したとか。そのため工場主は工場内に学校をつくり、読書、作文、算術、習字、裁縫等を学ばせたということです。中には好事例もあったようですが、年少者が喜んで学んだかといえば、長時間におよぶ労働のあとに授業を受ける者は少ないのが現実だったと。
日本的経営(たとえば離職率の低さ、長期勤続を特徴とする雇用スタイル)は企業内教育と関連があるとの指摘があるわけですが、先の状況だけをみれば道のりはまだ遠かったようです。
*1 『職工事情(上)』犬丸義一 岩波文庫