国宝であり世界遺産でもある富岡製糸場を訪れました。このブログで以前に紹介した『職工事情』や三島由紀夫『絹と明察』で綴られたようなことが実感できました。特に「西置繭所」と「社宅76」が印象的でした。
西置繭所には盛んだった頃の展示があります。注目したものが昭和50年代の入社案内です。『職工事情』にもあるように日本の絹糸生産現場は明治期から女性(女子)労働に支えられていました。幼い労働者のために場内で学校教育も行われました。昭和期もそれは同じで、そのため当時の入社案内のキャッチフレーズは”働きながら学んで幸せいっぱいな結婚へ!!” “卒業→就職から結婚へ”と謳われています。この展示ヨコの解説には「当時の一般的な価値観が見て取れる」と記述があります。
社宅76には生活をしていた人物の手記が残されています。それによると両親は富岡製糸場で出会い結婚、社宅は2度お引越し(恐らく家族が増えたり、昇進とともに社宅も格上げになったと想像)、お正月や夏休みには行事があり、社宅に住むお友達と楽しく暮らした、と。『絹と明察』でも工場に勤める男女の恋愛が描かれていて、それが重大な事件へ展開していくわけですが、極めてプライベートな事情が職場に自然と共存していた時代です。
なんといえばよいのでしょうか。今となってはほとんど消滅したこういう社会なのですが、このような労働が確かにあって現代日本の基礎を作り上げてきた事実があるわけです。この事実を生んだ社会の仕組みを単に否定をするのではなくて、現代と将来に向けてどのように解釈していけば良いのか。ここを訪れてそう思いました。
富岡名物の「おっきりこみ」が頂けなかったのは心残りですが、良い体験ができました。