歌は世につれ世は歌につれ、北島三郎が歌った「歩」は1970年代の代表曲でしょう。
この曲は1976年(S51年)発表ですが1970年代は日本的経営が確立した時代で、日本の格差が最小になった時代、「一億総中流」という流行語を生んだのもこの時代です。この曲は”肩で風きる王将よりも/俺は持ちたい歩のこころ”という歌いだしで始まるわけですが、王将と歩の格差をテーマにしていて逆行しているようにも思えます。しかし、そうではなくて誰もが王将(それぞれが思う王将)になれると信じた時代背景を映しているようです。
日本的経営は「能力」を評価する形をとりながら終身雇用・年功序列を特徴としました。この特徴が確立した経緯はつぎのとおりでした。明治時代から先の大戦後の少しまで、日本の雇用は学歴が支配していたといわれます。現場作業は中卒者が、下級職員は高卒者が、そして上級職員は大卒者が就くとほぼ決まっていました。そして終身雇用・年功序列は上級職員だけの特権でした。学校教育の定員もこの前提で決められていたそうですが、高度経済成長期に国民の知的水準を高めるために高学歴化が進められ、雇用と学歴のバランスが崩れる中、学歴による雇用は不平等であるという労働運動と労働者を確保したい企業の思惑が重なった結果、企業は学歴ではなく「能力」で登用し、誰もを上級職員と同じような終身雇用・年功序列の仕組みに組み込むという、いわゆる「青空のみえる労務管理」という着地点を見出すわけです。労働者はこれを好感し、同意しました。「社員の平等」が達成されたわけです。
これは格差を最小にするという面がありましたが、逆に誰もが上を目指さなければならない競争社会への突入でもありました(この競争社会から外れた労働、たとえば主婦パートや学生アルバイト等はのちに非正規労働とくくられ今日の労働問題につながります)。
サブちゃんの曲はこう続きます。”みてろ待ってろこのまますまぬ/歩には歩なりの意地がある/いつかと金で大あばれ”。平等はある面では酷な話です。学歴で雇用が決まっていればむしろ苦労はなかったかもしれません。労働者が望んだはずの平等は、否が応でも能力を評価され選抜されてしまう競争を生み、その競争に誰もが参加しなければならないという平等も生んだからです。当時の多くの労働者はこの曲を歌うことで気持ちを奮い立たせていたのかもしれません。
参考資料:Uta-Net、『日本社会のしくみ』小熊英二 講談社現代新書 2019