近所にある老練のマスターが営む珈琲豆屋さんがいつまでも続いてほしくって足繁く通っています。特にトラジャ豆が絶品です。
福田和也の著書『保守とは横丁の蕎麦屋を守ることである』に曰く「日常的に通う店、つまりは自分の生活スタイルを保持すること、そのために失われやすいものに対して、鋭敏に、かつ能動的に活動する精神を、保守と言う」とあります。自分にはそこまでの決意があるかは不安ですが、近所の珈琲豆屋さんに通うことも保守と言えるのでしょうか。
ところで、この『保守とは横丁の蕎麦屋を守ることである』を読むために、散歩がてら近所の図書館に寄ったのですが、この本が「パン・飲み物、食のエッセイ」の書棚に整理されていました。なんか自分ごとき浅知恵の者には違和感があるのですが、福田先生がご存命ならどう思われたか想像すると面白いです。