ある市長が市議会における答弁で学歴差別ともとれる不適切な発言をしたとして提訴されました*1。どのような経緯であったかは報道を通じて知るだけですが、企業誘致に関して市長が、「工場勤務は基本的には高校を卒業したレベルで頭のいい方だけが来るわけではない」と発言したとか。これに対し、元市議という方が「高卒がための劣等感、屈辱など計り知れない深い心の傷を与えた」として市長を訴えた、ということです。もちろん市長の発言が人の尊厳を傷つける意図があれば問題です。この一件について個別的には特にこれ以上の意見はないのですが。
学歴差別や学歴序列化が問題だという見方は労務管理の歴史をたどれば十分理解はできるところですが、さまざまな角度からの見方があるように思います。
ある研究者が言いました。そもそも工場現場は「知的熟練」が必要な高度な職務であり、わが国の強みであると。この誇り高い職務を担った方々はかつては中卒であり、その後は主に高卒の学歴であったはずです(むしろ昭和中期まで高卒は高学歴でした)。また、学校の成績と仕事の能力は別物です。多くの企業で採用された能力主義の人事管理は学歴ではなく能力で登用する前提であって、工場労働者が「高卒がための劣等感、屈辱」に苛まれていたとは必ずしも言えないと思います。
さて、今後もしジョブ型雇用を目指すとすれば、むしろ学歴(職業訓練も含め)による序列化を行うべきかもしれません。つまり、ジョブ型が機能するための要件はいくつかありますが、ある職務に就こうとするなら必要な学識を修得し訓練を受けた者にすることが要件のひとつです。今いうリスキリングという用語が近いでしょう。こうすることで、年齢・性・国籍等に関係なく必要なスキルを有していればジョブに就け、まっとうな処遇が受けられる社会にすべきという考え方なわけです。ですから、こういう社会は学歴による序列化がむしろ必要になるわけです。
重要なのは、学歴を自己責任に押し込めるのではなくて、本人が望めば公的支援により教育や訓練を受けられるような社会を目指すことにあります。結果として学歴に差がついても、もちろん人の尊厳は守られなければなりません。
*1 「工場では高卒レベルが…」市長の“学歴差別発言”で精神的苦痛…元市議の男性が市を相手取り提訴「深い心の傷与えた」 NST新潟総合テレビ 2024年11月30日 土曜 午前11:00