米価と賃金には相関関係があったそうです。
ある資料*1によれば、明治から太平洋戦争期までは「わが国の最下限の賃金の動きは米価の動きと極めて密接な関係を有している」ということが周知の事実だったそうです。さらに「明治期の女工の(1日当たりの)賃金は確かに米一升の水準とほぼ等しくその変動の方向も大体米価と同様」だったと記載されています。しかし、大正期に入ると女工の賃金のほうが米価よりはるかに高くなるのですが、それでも昭和初期まで(労働力の供給源が農村であったため)農村の生活水準の代替指標である米価から賃金水準は切り離されてはいなかったそうです。
この頃、紡績工場の女工が最下限賃金の労働者であったそうですが、先のように1日あたりの賃金が米1升の小売価格と等しかったわけです。現在の価格で換算するとどうでしょうか。総務省小売物価統計によれば2025年1月の米5kgは約3,900円(2023年1月の米5kgは約2,200円)です。米1升=1.5kgへ換算すると、それぞれ1,170円(660円)が日給(!)ということになります。
金額だけを単純にみれば恐るべき低賃金なのだけれど、恐らく当時もこんなイメージだったわけです。たとえば彼女らの衣食住はといえば、紡績工場の多くが寄宿舎を備え、制服を貸与していました。農村から働きに出る子女の生活は質素なもので、必要なものは食費とわずかな日用品ぐらいで、これを更に切り詰めて故郷への仕送りをしたとか(このあたりは『職工事情』に詳細な記録がある)。この最下限の賃金が、食費がまかなえる程度の金額であると考えれば、現在の価格で換算した賃金も一応の理解の範囲(つまり、1日あたりの食費に近い)といえないだろうか。
もちろん、最低賃金法が定める金額とは意味が異なりますし、現代人の文化的生活はこの金額では営めません。ただ関心があるのは、古くから賃金の動きと米価の動きには密接な関係があったことで、この関係は現代でも何らか生きているのではなかろうか、ということがひとつ。それと、このところ米価の高騰が問題になっていますが、これまでの米価の推移を踏まえるべきではなかろうかということです。物価が上がれば賃金もあがる、また賃金が物価を引き上げるという相互の関係が、最近の米価において象徴的に取り上げられているのではないかと思ったりします。
*1 『わが国賃金構造の史的考察』74p~ 昭和同人会(賃金構造委員会、委員長 金子美雄) 至誠堂 昭和35年11月30日